厳しい親に育てられた人が自由に幸せになる方法

厳しい親に育てられた人が自由に幸せになる方法

 今回の話は、優等生として生きてきた人や

『私は、真面目な人間』

と思っている方には、人生が変わるくらいのインパクトがあるかもしれません。

 今まで優等生として、真面目な生き方をしてきたという人は、

もちろん素晴らしいとは思うのですが、その生き方・価値観の元となるものは何ですか?

 そこには、お母さんやお父さんの存在がありませんか?

 ご両親が教育熱心で、

「真面目に努力して生きていくことこそ、いいことだ」

と教わったのではないでしょうか?

 そして、そんな自分でいることが一種強迫観念のようになっていませんか。

 真面目で勤勉な生き方が悪いわけではないですが、その価値観がどこから来ているかが大事です。

 それが本当にあなたの心から生まれたもので、その生き方をあなた自身が愛しているなら、それは大切にすべきです。

 でも、もしそれが、誰かから期待され植え付けられたもので、一種強迫観念に近いものなら、それはあなたの人生を狭く、生きづらくしているかもしれません。



 それを測る指標があります。

 あなたは、人の行動を咎めたくなることが頻繁にありますか?

 厳しい両親の元で育ち、価値観を植え付けられて来た人は、その両親から教わったルールを破る人を見ると、その人に怒りを感じたり咎めたくなったりします。

 例えば、僕自身が親によく言われていたことを例に出すのですが、

「遊んでないで、勉強しなさい」

という価値観の元、育てられた人は、

仕事や勉強以外のアクティビティを遊んだり楽しんだりしている人を見ると、彼らを蔑んだりイライラしたりします

 人生とは、努力し勤勉であるべきもので、遊ぶことはいけないという価値観を植え付けられたからです。

 その価値観を守らない人は、ルール違反であり、

自分が過去に親にされたように、罰したり怒られたりするべき存在と思うのです。

 僕自身も、受験期に遊んだり、本を読んだりしていたら、親に

「また本を読んでる」

「また遊んでる」

「勉強は大丈夫なの?」

と言われたり、直接的には言われなくても、言外のプレッシャーを感じたりしたので、

 未だに、自分が純粋に人生を楽しもうとする活動をするときに、罪悪感を感じたり、誰かに責められるのではと感じることがあるのです。

 もう10年も前の出来事なのに、それだけ親から植え付けられた価値観というのは強迫観念に近いものとなって、その人の人生を狭いものにする可能性があるのです。

 僕は、ある時から、親に教育(洗脳)された

「人生は勉強」

「人生は仕事中心」

「人生は真面目に勤勉に生きるべき」

といった価値観よりも

  •  人生は楽しむもの
  •  人生は幸せに生きること
  • という価値観を持った方が、人生が豊かに、自分自身が幸せになれると気づいてから、こちらの価値観にシフトするようとしています。

     親からの価値観は根強く、本能に刻まれたような感じなので、しぶとくこびりついていますが、徐々に歪んだ価値観からの癒しが起こっています。

     親から教えられた価値観が良いものであれば、大切にすればいいと思いますが、

    あなたの人生を狭めるものだったり、あなたの幸せの足を引っ張るものであれば、それは必要のないものであり、手離していけばいいのです。



     大切なのは、親から教わったことというのは、単に1つの価値観に過ぎない気づくことです。

     一度これを分かってしまえば、楽なのですが、

     これに気づいていない人にとって、親に植え付けられた価値観は、あまりにも絶対的なもので、世界のルールであり、正義であり、これに沿わないものは悪というくらいに当たり前のことと信じ込んでいます。

     あまりにも当たり前のことで、本人も疑うこともない。

    と言うよりも、「単に1つの価値観を信じている」という自分の状況すら見えていないという感じです。



     そう、今回あなたに気づいて欲しいのは、

    あなたが昔教わったことは、1つの価値観であり、言い方を変えれば洗脳に過ぎないのです。

     それがいいものか悪いものかは別として、とにかく別の価値観もあるということです。

     そのことに気づいて欲しいのです。

     そして、親に植え付けられた価値観にしがみついて生きるのではなく、

    別の価値観も知り、その中であなたの幸せになる価値観を選びとって欲しいということです。

     親からの教育や価値観が1つの洗脳に過ぎないと気づいたもう1つ、面白い経験があります。

     あるとき、1人の女性と食事をしていました。

     僕は、トイレに行きたくなったので、

    「食事中に本当に申し訳ないんだけど、お手洗い行ってくる」

    と言いました。

    その時の彼女の反応が面白かったのです。

    「え? なんで?」

    「食事中にトイレ行っちゃいけないの?」

     本当に素で不思議そうに聞くのです。

     はじめに断っておきますが、ここでは「食事中にトイレに行くのはいいか悪いか」という議論は置いておきます。

     それは今ここでは重要なことではないからです。

     ただ、

    「食事中にトイレに行くことはお行儀が悪い」

    と教わったことはあなたにもあるのではないでしょうか?

     僕もご多分にもれず、そのように教わってきました。

     でも、土地柄なのか、家庭環境なのか、

     彼女はそんな話は一度も聞いたことがないというのです。

     僕は、「食事中はトイレに行ってはいけない」という価値観の下、生きてきたので、

    自分が食事中にトイレに行くのはみっともないと思っていましたし、

    他人が食事中にトイレに行くのも、いちいち咎めはしませんが、どこかお下品だなと感じていたと思います。

     でも、彼女にとっては、食事中にトイレに行きたくなったら、

    別に何のフラストレーションも罪悪感も感じずに行けばいいし、

    食事相手がトイレに行っても、イライラしたり、相手を蔑むこともないわけです。

     だって、別にトイレに行きたくなるなんて、人間として当たり前のことだから。

     これって彼女の方が、すごく健全な心で、広い心で生きられているなと思うのです。

     僕はその時

    『あぁ、価値観なんて、あくまでも、1つの価値観に過ぎないんだな』

    『俺は何を小さなことに今まで、ストレスに感じたり、人を評価してきたんだろう』

    と実感したのです。

     馬鹿みたいな話かもしれませんが、「食事中、トイレに行くのは下品」という価値観 (洗脳)1つで、

    その洗脳のない人が何も感じないようなことを、僕はストレスに感じたり、心で人を責めたりしてきたのです。

    いかがだったでしょうか?

     あなたも一度、自分が当たり前と信じていることを疑ってみてはどうでしょう?

     ヒントは、怒りを感じたり、咎めたくなった他人の行動にあります。

     自分の子どもが扉を開けっ放しにし、それを叱った時、

    それは本当にあなたが悪いと思っていることなのでしょうか?

     もしかしたら、自分が子どもの頃、同じことをして、

    自分の親にこっぴどく怒られた経験やトラウマによって、植え付けられた価値観ではないでしょうか?

     繰り返しになりますが、親からの教育や価値観が全て悪いということではありません。

     良いものは大切にすればいいです。

     もし、あなたの人生を窮屈なものにしているのであれば、別の価値観を選ぶという賢明さを今日あなたは手にしたのです。

     より、豊かで幸せな人生を歩んでいきましょう!